ネットの功罪

今朝、ある番組を見ていたら、帝王切開で出産したことによって、周りから心ない言葉をかけられ、精神的に落ち込んだり、子育てにも影響を受ける人がいるという問題提起をしていた。
つまり、自然分娩が普通であり、安易に?帝王切開をすることへの無理解によって、自分自身への罪悪感から子供へも普通に向き合うことができなくなるという悩みを持つ人がいるというのだ。


私も初産は帝王切開だったから、先ずはそんな問題があるってことに驚いた。

私の場合は逆子だったし、病院での検査から、自然分娩はリスクがあるということで帝王切開になったし、私は充分納得できたから、結果的に良かったと思っている。二回目の出産はやはり逆子だったけど、自然分娩で出産した。でも、分娩中に、異常事態が起こった時には帝王切開に切り替えるとも言われていた。


帝王切開したことを恥じることも、否定することも絶対ない。
そんなことを思ったことのない私は、正直驚いた。
えっ?そんなふうに考える人がいるの?って。
それに、不妊で悩む人からすれば、そんなことで悩むなんて贅沢だと思うかもしれない。

ネット社会では、いろんな人がいろんなことを書き込むし、それについていろんな意見が飛び交う。
そうそう、私もそう思うとか、逆に否定するとか。
一人の思いが、一つの問題提起をすることによって、それを見て、不安に思ったり安心したり納得したりするのだ。
うちの娘もネットでいろんな情報を得て、活用したり勉強になったりしているようだけど、逆に情報に左右されてしまうこともある。私の子育ての経験を聞いて納得しながらも、ネットで得た情報の方を選んだり。
昔は布のおしめだったから、オシッコやウンチをして不快になるので、早くオムツをはずせた。娘も二歳ではずせたけど、もうすぐ三歳になる孫はまだ紙オムツをしている。保育園では、皆と一緒にトイレに行って、ちゃんとオシッコしているとか。でも家ではいまだにトイレに行かない。甘えもあるかもしれない。
紙オムツはオシッコをしてもサラッとして不快感が感じにくいから、なかなかオムツから卒業できないらしい。そして昔と違って三歳になってもオムツをしているのはめずらしくないのだという。でも、ある日突然ちゃんとトイレに行けるようになるから大丈夫とか。ま、私もあまりうるさく言わないで、その日が来るのを待っている。

子育ての悩みをネットで見て、同じ悩みを持つ人がいるのを知って安心するって、ある意味救いがある。近くに親がいなくて一人で不安で悩んでいるより、ネットで少しでも気持ちが楽になるなら、ネットも捨てたもんじゃない。

ただ、あまりネットで左右されてほしくないものだと思う。