剛君のこと

29歳を迎えた森田剛・・・・

舞台「IZO」は様々な人に喜びと感動を与えてくれた。今回、あちこちの新聞にも取り上げられたが、大人の鑑賞にも耐えられる作品だったということなのか。森田剛が役者としてようやく認められた気がしてファンとして嬉しかった。ようやくという感ではあるけれど。

荒神」は剛君の初舞台ということで、私的には、初舞台とは思えない動きと見せ方をしていたように思うし、今回とは違う意味ではまり役だと思った。この舞台があったからこそ、剛君も舞台の楽しさや、難しさも感じられたのではないだろうか。数々の舞台を見てきた方がたからすれば、いろいろ感じることもあって、評価が別れるのかもしれないけど、剛ファンの目線と、そうじゃない目線の違いもあるのだと思う。たとえば新感線という劇団のファンにしてみれば、物足りなさとか、ジャニーズなんてと偏見の気持ちから鑑賞すれば、当然文句を言いたくなるのだろう。他の役者のほうばかり見ていると剛君の細かい表情も伺うこともできない。
剛君の演技は表情の細やかさが絶妙だから、ファンとしてはそういうところをもっとちゃんと見てほしかった。
先日友達が観劇していたとき、後列にいた新感線ファンの女性たちが「これが新感線の舞台と思ってほしくないよね」と聞こえよがしに言っていたとか。
この一言は剛君に対するあてつけだろうか。だとしたらとんでもない勘違いだと思う。
今回、演出のいのうえさんは、今までとは違う新感線を見せる目的もあったし、何よりも、幕末に生きた以蔵の生き様を真摯に描きたかったのであって、そこに今までとは違う色を出したかったのだと思う。そういう以蔵を剛君に託してくれたのであって、それを演じられるのは森田剛だと信頼してくれたことに敬意を表したいと思うし、新感線ファンも素直に受け止めてほしかった。
もちろん100%満足できる舞台はありえない。人それぞれ目線と感性は違うのだから。そして演じる側の力量もあるだろう。



声が早くから枯れてしまったのは、今後の舞台のためには克服しないといけない課題だと正直思う。それは剛君自身が一番感じているだろう。
舞台人は普段から発声訓練をして鍛えているから、そういうところは見習わないといけないと思う。


私は2公演しか観れなかったので、細かいところや剛君の演技とか表情をもっと感じ取りたかった。地方在住の辛いところだ。でも幸い剛ファンの友人の観劇レポがたくさん聞けたから、感動を共有することができて、ほんとうに幸せだった。
12年近く森田剛を見てきて、彼の本質的な魅力をあらためて感じる。世間の騒々しい動きにもマイペースを崩さず、在るがままの自分をまるで自然に生きている。
自ら動くような積極性がないことが、いわばやる気のなさに見えるかもしれないけど、果たして貪欲に仕事に向き合うことが彼にとっていいことだろうか?
岡田君の近年の活躍には目をみはるけど、剛君とは対照的な部分を感じる。岡田君はいろんな役柄をこなせるようになったし、演技の幅も出てきたし、それに対しての評価も高い。オファーもたくさん来ているのだろう。
ただ、剛君のような男の色気やアクの強さとか、人間の深さとかはまだかな?と思う。役柄にもよるけども、その役を演じることは長けていても表面的であればこちらに響いてはこない。泣いたり笑ったり怒ったりの演技は完璧に演じていても、それが演技からくるものだと感じられたら、やはり心には届いてはこない。
多くの作品に出ることはいろんなメリットがあるけど、剛君のように、何年かに一度の作品に込められるハングリーさとか魂みたいなものがあのようなカタチになって表われるのだとしたら、それは剛君にとってもファンにとっても幸せなことではないかな?と思う。


きょうからまたV6の森田剛として動いていく。
コンサートDVDの中の剛君のダンスを見ていると、この人は、役者とダンスの大きなものを二つももっているんだなぁとつくづく思う。

昔のダンスより今の剛君のダンスのほうが好きだ。
円熟さと妖艶さは年を重ねてきたからこそ出せたもの。
そして森田剛が持つ色気と切なさと不良性がその時々に見えてくるのが魅力だ。
どんな曲でも踊っている時の流れは途切れることなく、つながっている。
演技もダンスもその人が感じて表に出して見せることであることは共通している。
29歳を迎え、今まで生きてきたたくさんの経験がそれらに影響を与えて味わい深いダンスに仕上がっているのだと思う。


森田剛の生き様をこれからも見続けていきたいと思っている。